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8 旧東海道品川宿の街と建築を巡る

江戸時代、東海道の初宿地として賑わった品川宿は、今の北品川駅・青物横丁駅間の約2kmにありました。その周辺も含め約3㎞を2時間で見て回るツアーに9名が参加し、ナビゲーターの解説をイヤホンで聴きながら晴天のもと熱心に街歩きしました。

今は旧東海道に面しての江戸時代の建物はなく、宿場町と関連する都市機能も僅か(畳屋や履物店は健在)ですが、変わらぬ道筋と道幅や、本陣跡の公園や幕末志士の密議の舞台にもなった大妓楼「土蔵相模」跡の立て札からも往時に思いを馳せました。

ツアーはまず街道から海側に下り、旧目黒川河口に関東大震災後に建設された北品川橋と船溜まり、猟師町地先の利田新地と利田(かがた)神社を訪ね、かつて品川宿が海に近かったことを実感しました。一方、街道山側になる西側の寺社には、入江長八による鏝絵が外壁に残る善福寺、建物側面の大正期の煉瓦壁が独特な法禅寺、区内最古級の木造建築本堂(1751年)の海徳寺、五重塔の礎石が残る天妙国寺、平安時代創建の歴史ある品川(ほんせん)寺、町火消しの纏(まとい)図が格天井に見られる海雲寺荒神堂 (関東大震災後再建)などあり、明治期以降の建物が多いですが多様な魅力を堪能しました。また、関東大震災後から昭和初期に建てられた「看板建築」は、当地への空襲の被害が少なかったことや保存への努力もあり、現在も街道や北馬場参道沿いにいくつか点在し、特に外装の銅板意匠に震災復興後の職人たちの新たな心意気が伺えました。旧品川宿には巨匠による有名建築はないものの、明治、大正、昭和の職人による意匠や技が多く見受けられ興味深いものでした。

またマスメディアで紹介されたお店も少なくなく、ツアー参加者から「ここテレビで見た!」との声も聞かれました。かつては交通の要所として密実な都市空間だっただろう江戸の玄関口、その役目から解き放たれた現在は親しみ深いウォーカブルな通りとなっていました。

ナビゲーター:今井康博(建設会社勤務)

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電車遅延があったにも関わらず、参加者の皆さん無事時間前に集合し、北品川駅からツアーはスタート。旧東海道品川宿と周辺に点在する看板建築・洋館建築・寺社を中心として、青物横丁駅までの約2㎞のコースを巡りました。

戦火を逃れた品川宿には、意匠的に工夫が凝らされた銅板貼の看板建築がいくつか残されていますが、八ツ山通りの交差点の飲食店「居残り連」は、銅版の色が鮮やかで趣のある建物でした。また、旧東海道沿いの「星野金物店」は銅板の装飾とベージュのタイルが印象的で、1階部分の道沿いの張り出しと向きの異なる2階の建て方も珍しく、参加者の方々も沢山写真を撮られていました。

品川橋の先にある「品川橋詰の旧交番」は、モダンな雰囲気な佇まいで、昔から橋詰には、交番や倉庫、公衆トイレなどが防災対策として設置されていた話も聞くと、危機管理の意識に感銘を受けます。青物横丁近くの交差点の「南品川三丁目の洋館」は、明治に海軍医の方が建てたそうで、玄関脇のスクラッチタイルの柱が目を引きました。現在も医院として開業しているとのことで、長く地元に愛されている建物なのだと思いました。

旧東海道には古い寺社も多いのですが、「善福寺」の本堂には伊豆長八による鏝絵があり、左官技術の高さを感じました。善福寺から歩いてすぐの「法禅寺」には、塀や本堂側面の煉瓦積みが見事で、品川では煉瓦造りが盛んだった話も伺うと得心が行きます。お寺の横道に入っていくと、昔ながらの狭い路地が続き、長屋や古い井戸、煉瓦塀なども残っていて、タイムスリップしたような気分を味わえました。

ガイドさんの話は、建築の説明と共に、近くで撮影された映画の話や、品川の歴史や暮らしの話もあり盛り沢山でした。鯨塚や海苔養殖の話には漁師町としての面影を感じられ、看板建築や煉瓦積み建築には、防火対策の中にも意匠に拘った人々の工夫が感じられて、品川に暮らした人々の魅力を発見できたツアーでした。

アシスタント:櫻田尚子(社会人スタッフ)