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オープンしなけんのおかげで名建築であることが分かった。(元品川バプテスト教会牧師・日隈光男記)
「オープンしなけん」での出会い
2019年3月9日(土)(2018年度)と同年11月30日(土)(2019年度)の2回にわたって「オープンしなけん」が開催された。当教会は2回とも参加した。第1回は2時間で167名の見学者があり、第2回は4時間で82名の見学者があった。
当教会では予想外のことが起きた。その見学会に、当教会を設計された天野太郎氏と吉原正氏の大学の教え子の方や設計事務所の関係者の方々が来て下さったのである。その方々のお話によって当教会が名建築であることが明らかにされた。天野氏の教え子の一人建築家・橋本久道氏は「この教会を設計された1963年頃天野研究室(大学院)ではフィンランドのアルヴァ・アールトという建築家に関心が集まっておりました。研究室にアールトや北欧の建築家たちの資料や写真集が置かれていて、先生方も良く見ていました。しかし先生方は、フィンランド風の教会を、日本でこのように具現化されたことを当時話しておられませんでした。私たちも『オープンしなけん』で今回初めて知って駆けつけたのです」と言われた。橋本氏は10年前の2010年に教え子たちが協力して、東京藝術大学美術館で開催した「天野太郎の建築展」のカタログをお土産に持ってきて下さった。
私は橋本氏に出会うまでは、フランク・ロイド・ライトの影響が強いと考えていた。勿論、ライトの影響が建物の随所に見られるのは間違いない。ライトの影響はフラットな屋根、深い軒下、小さな入口から、突然大きな空間に導き入れる仕掛け、庭と同じ高さの低い床は、庭に芝生を植え会堂内と庭を自由に往来できるような設計になっている点などライト的だと考えられる。
フィンランドの建築家アルヴァ・アールト
最初に調査に来られた東京建築アクセスポイント代表理事の和田菜穂子氏は丸い壁をさわりながら「北欧に良くある教会堂に似ています。良い建物ですよ」と言われた。私は不思議に思ったが、やがてその言葉は的中したのである。天野氏の教え子や天野設計事務所の関係者の方々の証言によって立証された。和田氏は後に「初めて見た時、ライトっぽくない建物だと思った。やはり当たりましたね」と笑って言われた。
「丸い壁」はアルヴァ・アールトの影響とみて取れるだろう。天野氏は1961年に文部省の海外研究員としてヨーロッパの建築事情を視察している。そこで大きな影響を受けたようである。1961年に天野太郎研究室(設計事務所)は武蔵嵐山カントリークラブというゴルフ場の大きなクラブハウスを建築中であった。その時担当しておられた建築士の方が、第2回目の見学会に来られ、その当時の様子を語って下さった。「今のようにインターネットなどがなかった時代でしょう。ですから、天野先生から毎日絵はがきが届きました。『あそこは、このように直してくれ』『あの部分の工事は私が帰るまで待ってくれ』とこまかい指示が、毎日のように届きましたよ」
武蔵嵐山カントリークラブは当教会の2年前に建築されたもので、当教会と似ている点が多い。壁の外も内も、角が丸くなっている。室内には半円形の団欒コーナーが設けられている。天野氏は急に思い立って設計変更をしたわけではなかった。設計にかかる前に、天野氏を中心に「なにか建物の馬鹿馬鹿しさのあるものがいいと思うんだが、もちろんつやもなきゃあいけないんだ。形はかるかんのように、こうふんわりとした…一本調子にならないようにしないといけない」と語り合ったと『有機的建築の発想―天野太郎の建築』には書かれている。
1958年に熱海S氏邸を計画した時にも「ふっくらした、丸いものをつくろうじゃないか」と天野氏が発言している。天野氏が丸いものを建築の中に取り入れることは常に考えていたことがわかる。アルヴァ・アールトの建築を見て確信を持ったのであろう。お土産にいただいた「天野太郎の建築展」のカタログの中に建築家の黒川哲郎氏が「ライトとアールトの綯い混じった有機的建築スタイル」と天野氏のことを表している文を見た。
伝統的な会堂建築は鐘楼や箱舟等が象徴されたデザイン
同カタログの中で建築史家の藤森照信氏は次のように述べている。ライトに学んだ日本の建築家たちの中で、ライトのデザインを継承した人々と、モダニズム建築に進んだ人々の二手にわかれる。ライトの元から離れた後、作風が大きく変わる分岐点は、キリスト教信仰の有無だろうと推測している。
天野氏と吉原氏と樋口清氏は鹿島建設設計部から若い時に、遠藤新建築創作所に出向して、1949年に目白ヶ丘キリスト教教会の建築に携わっている。基礎設計は遠藤氏であり、若い人達は実施設計に携わっている。天野氏はその直後、ライトのもとに留学した。同じライトに学んだ遠藤氏と天野氏が、教会堂を建てるときに、まったく形の違うものを建てたことに興味をひかれたが、建築史家・藤森氏の意見にふれて納得した。
天野氏と吉原氏は、目白ヶ丘教会の建築に参加した14年後に当教会の設計監理をしている。それなのに、目白ヶ丘教会と当教会はまったく異なるデザインになっている。目白ヶ丘教会は伝統的な教会堂建築の象徴である「鐘楼」と「箱舟」がデザインされている。遠藤新氏は1911年(22歳)に富士見町教会で洗礼を受けたという資料が目白ヶ丘教会に保存されていた。キリスト者であった遠藤氏が伝統的な会堂建築をされている理由がわかった。
モダニズム建築
それに比べて品川バプテスト教会は「鐘楼」や「箱舟」という伝統的な教会建築の象徴を取り入れていない。伝統から自由であるといえる。天野氏は、北欧のプロテスタント教会をみて、伝統から自由になったのであろう。完成当時、一見して教会とわかるデザインは、屋根の端に小さな十字架がつけられていた位である。中に入って初めて教会とわかるデザインであった。
アルヴァ・アールトのヴォクセンニスカの教会堂も、窓は高い所に採光用につけられている。ほとんどが壁という外観は教会堂らしくない建物である。
当教会も、外観は教会堂らしくない。中に入って初めて会堂であることがわかる。中は大きな空間になっている、天井高6メートル、横幅8メートル、長さ10メートルという吹抜けが広々とした空間になっている。窓もなく、周囲が大きな壁で外界と遮断されているので、自動車や人の往来に気を取られることなく礼拝に集中できる構造になっている。逆に言えば近隣の人々の生活の邪魔になることもない。
「オープンしなけん」の見学に来て下さった建築家・橋本久道氏から後日、フィンランドの建築家たちが建てた教会堂の写真が送られてきた。その中の一枚に、エリエル・サーリネンがアメリカのインディアナ州コロンバスに建てたファースト・クリスチャン教会の内部写真あった。それは、当教会の正面に良く似ていた。大きな木の十字架が似ている、それが中央ではなく、左に寄せられていること、光の採り入れ方が似ているので驚いた。日経アークテクチャーの編集長・宮沢洋氏は当教会のイラストを描きながら「シンメトリーになっていないのが不思議だ、普通はシンメトリーだけどな」とつぶやいた。
和田菜穂子さんから、昨年フィンランドを再訪されたときに訪ねられた「復活の教会」の美しい写真を送っていただいた。「オープンしなけん」に来られた他の建築家の方も「北欧の建物は雪に埋もれるから、明り窓は建物の上の方につけるのですよ」と教えてくれた人がいた。「オープンしなけん」に来られた3人の中年婦人グループ方々は椅子に座って話を聞いて下さったあと「この教会堂は威圧感がないし、威張っているような感じがないのでとても居心地が良い」と感想を言ってくださった。
広い空間設計が特徴
天野氏は「良い住いは、視野を遮るような柱のない、広々とした空間」と語っておられる。その言葉のような会堂になっている。当教会のデザインのポイントは広い広間設計にあるといえよう。天野氏の教え子である建築家・田中厚子氏(芝浦工大特任教授)は、初めて見る恩師の作品である当教会堂の中に入った時、すばらしい空間設計と光の入れ方の絶妙さに感動したと語られた。その後の改造部分について耳を傾けてくださり、玄関の拡張やベランダを部屋にしたことなどで、オリジナルの美しさが損なわれたことにたいして、少し顔を曇らせた。それを聞いた平井充氏(吉原建築設計事務所の最後の建築家)が、「教会員が相談して、少しずつ、オリジナルの美しさを回復する修復工事をしたら良いですよ。あまりお金はかからないと思います。」
築57年の間に居住性を高めるための改修工事をした。断熱工事であり、照明を明るくする工事などに取り組んだ。建築家・澤本孟氏の提案によって壁と天井に断熱材を取りつけた。25ミリ厚の発砲スチロールを壁に貼り、その上に壁板を取りつけたのである。冷蔵庫の周囲の壁と同じ構造になっている。暑さ寒さもかなりやわらぐことになった。照明は聖書や讃美歌の文字が見やすいようにという配慮で、電球から蛍光灯になり、現在の水銀灯になった。この設計は琵琶湖花噴水や比叡山ケーブルカーの設計者D&D設計事務所の桜田秀美氏である。椅子も最近、新しいものに取り換えている。
ローコスト故にシンプルで美しい会堂
平井氏は「お二人の共同作業です。事務所では机を向かい合わせにして仕事をしておられ、天野先生が考えたことを『これでどうだろうか』と図面を、前に座っている吉原先生に渡し、吉原先生がまたアイデアを書いて天野先生に返すという作業をしておりましたから、お二人の合作です。強いて言えば、この教会の仕事は、初めに吉原先生に相談が来たので、気持ちの上で吉原先生の仕事と考えたのかもしれませんね。教会が保存している実施図面は吉原先生のきれいな設計図であり、手書き文字も吉原先生のものです。(全ての図面一枚一枚に『天野太郎研究室』【設計事務所】のゴム印が押してある)これは宝ものですから、大切に保存して下さい。」さらに「ざっくりと全体の設計をしたのが天野先生であり、細部まで丁寧に設計しているのが吉原先生です。広い空間設計をしたのが天野先生で、アーチ状の梁は吉原先生のアイデアです。吉原先生はボザール的です(大正時代にボザール校というフランスの特別高等教育機関で芸術や建築を学んだ中村順平氏が創設した横浜国立大学建築科を卒業)、梁と柱の接ぎ目の斜めの飾り柱によってアーチ状になり、どっしりした感じになっています」と語られた。
建築築ジャーナリストで東京建築アクセスポイント理事の磯達雄氏は「住宅街のなかにあるこの教会の設計を、有名な天野太郎先生が引き受けた理由を教えてください」と言われた。それは、1963年頃、吉原正氏が大井町に住んでおられ、3人のお嬢さんたちを大井バプテスト教会付属あけぼの幼稚園に入園させたのが発端になった。品川バプテスト教会は、大井バプテスト教会から株分けという形で、支店や支所のようにして誕生した教会であるから、吉原氏に相談し、「天野太郎研究室」(当時、西新宿)という設計事務所が設計監理を引き受けて下さったのである。「あそこは予算が少ない」と言われ、ローコストであったために逆にシンプルで美しい礼拝堂が出来たといえよう。これは、建築家・安藤忠雄氏が「光の教会」で語った言葉である。(平松剛著・「光の教会」-安藤忠雄の現場―)
品川区内には20以上の教会があり、幹線道路沿いに目立つ大きくて立派な会堂が5,6ヶ所ある。それなのに、住宅街に埋もれたような会堂が「オープンしなけん」の調査員の心をつかんだのは、天野・吉原両建築家の魂が現れた魅力的な建築だったからであろう。建築家・平井氏は「非常に手の込んだ建物です。今ではなかなか作れません、大事に使ってください」といわれた。
(元品川教会牧師・日隈光男記)
【二人の建築家】
天野太郎氏 1918年生まれ、1990年没。 アメリカの建築家フランク・ロイド・ライトに学び、工学院大学と東京藝術大学で教鞭を執った。友人の吉原正氏と共に「天野太郎研究室」を創設し、設計活動をする。代表作に、武蔵嵐山カントリークラブ、東京藝大美術学部図書館、資料館、絵画棟、彫刻棟、陳列館、研究室等。
吉原正氏 1922年生まれ、2014年没。 鹿島建設設計部以来の友人天野太郎氏を支え、共同設計者として活躍した。工学院大学や東京藝術大学で講師として教鞭を執った。代表作に厳正寺(基本設計・中村順平、実施設計吉原正)、日本バプテスト連盟天城山荘チャペル、浦和バプテスト教会等がある。その他の多くが天野氏との共同設計。